金田一京助さんの「ユーカラの人びと」という本に出会っている。
その中に、北海道の北に位置する樺太に渡ったときの話しがのっていた。
樺太アイヌ語を研究するため、一人樺太に渡った時の話しの要約です。
「言葉がわからず、住んでいる人から、警戒の目で見られている状態で、
何日もそこに居つづけた。
孤独という以上に、虚しさとやるせなさを感じる。
そんなある日、子どもとの出会いが、一つの扉を開けた。
顔の絵を書く。
そして、目を書くと、子ども達はいっせいに shish と言った。
次に鼻を書くと、面白がって、いっせいに etu-pui と言った。
絵を書いては、言葉を記録していく。
次に、めちゃくちゃな絵を書いてみせると、子どもが首を傾げ、「へタマ」と叫んだ。
言葉を知るために、一番大切なキーワードは、「何?」という質問の言葉。
「何?」という「ヘタマ」の言葉を手に入れてから、
未地の言葉がどんどんと記録されていった。」
口伝文化を大切にしている人達の間では、文字は重要なものではなくなる。
この日記を書いているのも、日本の言葉を使っているが、
文字にしたとたん、言葉の中のメッセージが、減少してしまうように感じる。
この耳で、そして、心に響くユーカラという口伝えの叡智を、
私も感じてみたくなってきた。
言葉の響き、リズム、そして、言霊を感じてみたい。
自分の中の古い記憶が、音をたてながら蘇ってくる予感がする。
アイヌの人びと、そしてアメリカ・インディアンのホピの人びとから、
古代の叡智と言霊を受取ったとき、私の中のパズルが解き明かされる。
ストーリーテーラとして、生きていた古代の記憶が、蘇ってくることを夢見ながら。
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