加藤諦三さんの「アメリカインディアンの教え」第十一章にのっている言葉です。
「受けいれる」ことについて、加藤諦三さんは次のように説明しています。
「自分を受け入れられるとは、自分が恐いときに
恐いと言ってもいいということです。
自分が恐いときに恐いと言っても自分は見捨てられないということです。」
「そしてもしそのように生きられるなら、その子は自分を好きになるはずです。
さらに大切なことは、自分を好きになれる人は他人も好きになれるということです。」
私は、今になっても、古い旅館のトイレに行く時、なんか恐い感じがする。
その恐さを抑えようとすると、よけいに恐さが増してきます。
恐さを感じている自分の感性を信じているから、
「恐いものは恐い」と声に出して言ってしまいます。
もしも、他の人から「いくじなし」と言われても、
自分の感覚をごまかして生きていくのは嫌いなので、
「恐いものは恐い」としか言えない。
もし、子どもが「トイレに行くのが恐い」と言ってきたら、
「そうだよね、お父さんも恐いんだ。 どうしようか。」と言うだろう。
そんな父親の姿をみて、子どもが「頼りない親だな。」と思ったとしても、
子どもは親として受けいれてくれている。
もしかしたら、「自分がしっかりしなくちゃ。」と子どもが自立するかもしれない。
自分の素直な感情を、そのまま受けいれてくれる環境が
用意されている人たちは幸いです。
「素直な自分でいいんだ。」
「弱みを見せても、否定されない。」
そんな経験を重ねていくことで、自分で、自分を好きになっていくことでしょう。
弱さを持っている自分が好きになったとき、世界を見る観点がかわります。
弱い自分に対して、そっとサポートしてくれる、静かな愛があることに気がつきます。
そして、その愛を、他の人にも分けてあげることの出来る自分になりたいと
思いはじめるのです。
コメント